金曜日, 11月 02, 2007

今日の名言

我がものと 思えば軽し 傘の雪

水曜日, 3月 14, 2007

いつの間に

ブログの機能が変わっていた。

金曜日, 2月 03, 2006

引っ越します


名前は系列作品のまま

↑ こちらに移動します。
お付き合い、ありがとうございました。



新たに訪れた人、時間があれば、適当に読んでみてください。まあ気が向けば。

木曜日, 2月 02, 2006

トゥルーボイス(6)

 40日間

 ぼくと弟の年齢差は8歳ある。母親の妊娠中かそれとも生後か、あるいは両方か、よくいとこの家に預けられた。そこは金銭的にもゆとりがあったのだろうか? それとも、ぼくが静かで言うことをよく聞く子供だったのか。2歳上の兄貴は実家に残ったままなので、不自然な感じもする。きちんとした理由は新しい子供に負担がかかりすぎるので、人数を減らそうということだ。

 はっきりいって違う環境に順応できる人間にとって(子供にたいしてこだわりもなさそうだが)そうした変化が楽しく感じられた。葛飾区という場所から横浜へのジャンプ。大きなプールにも連れて行ってもらったし、なんの不足もなく過ごした。

 でも一夜だけ、レストランに連れて行ってもらったときだけ、不覚にもホームシックにかかってしまった。同じようなサイズのレストランに、弟と母と行ったよなぁ(やっぱり弟の生後か?)と想像をめぐらしてしまったら、涙が頬を伝わってしまった。生涯において、家族に対して強い感情を揺るがせてしまったのは、あの一件だけのような気がする。
 その後、おばさんの家に帰り、電話で母と話したような、話さなかったような、記憶というのは、とても曖昧(あいまい)なものです。

南青山にて

 急遽、鬼武さん(女性ジャズピアニスト)のライブに行く。今日は、ハーモニカやサンポーニャという南米のボリビアの楽器が入ったり、素晴らしいセッションでした。

 スカポローフェアも演奏してくれた。楽器が変わるだけで、オリジナル曲もよりメロディックになった。もう、大ファンですね。

 メロディーを 奏でる背中 小さくて

 雨があがり、全世界が自分の味方みたいな気持ちで街を歩く。

 雨上がり 水溜りにも 夢みつけ

トゥルーボイス(5)

走る男

 中学時代、とにかく陸上競技に明け暮れていた。そこには、ライバルと呼べるのだろうか、一人の友人がいた。いくらか分析してみると、運動能力の方は、彼に軍配があがり、勉強については、ほんのちょっとだけ、ぼくの方が上かな。
 2人で短距離の練習をしていた時、3,4階の窓ガラスに下級生の視線をありありと意識しながら、80メートルぐらいのダッシュを8割方の力で、数回駆け抜けるトレーニングをした。でも、その視線のために、全力を出し切り、本気で走った。どちらからともなく「いまの本気だよね」と笑った。
 
 大人になって、生活力を考えると比較にならないぐらい彼が優勢になる。性格のよい妻を得たのも、真っ先に家を購入したのも彼だった。8割方のダッシュではないね。

 もう一つのエピソード。お気に入りのスパイクを持っていた。陸上用のは、ネジ式にスパイクの針を差し込んだり、取り替えたりすることが出来る。しかし、その箇所が、どうねじっても取れなくなり、買った店に行き、抜いてもらおうとした。自宅と一緒になっているような小さなスポーツショップなので、作業場なのだろうか見えない2階に持っていかれ、あっ気なくきれいに取れたのだが、その2階から階下に向かって靴が投げ落とされた。階段を転がる陸上用の靴を下で見ている店員とぼくの2人。家族喧嘩でもしていたのだろうか? 僕のスパイクが八つ当たりに使われた。とても悲しかった。そんな不当な扱いされてもね。

土砂降り



(反省の一句) 父親の 手術日にさえ 熟睡し

 元気だしてお見舞い行こう。

(両親編) 楽園を ふと追われりし 男女かな

靴のすそ 乾く間もなく また歩き

車にも 白い布団の サービスで (この前の雪の日の情景)

火曜日, 1月 31, 2006

ダウンロード

2曲、ネットで音楽を買う。

AI (STORY) 200円
(You're Beautiful) James Blunt  210円

i Tunes とMORA というサイト

なんか一個にまとまれば良いけど中々ね。

(一句) 大家さん 家賃を払い ひと安心

月曜日, 1月 30, 2006

トゥルーボイス(4)


ウインドウズ98と清算記念日

 はじめて買ったパソコン。買ったはいいが、マニュアルなども読まないで適当にいじってみた。シャットダウンもせずに電気製品のように電源を消したりした。そんな行為にさらされつつ、よくも故障もせずに長持ちしたものだ。

 その時に交際している女性がいた。メールもそのパソコンを使ってやり取りした。その所為で文字入力も出来るようになった。パソコンは練習した時間に比例して上手くなるが、生き方は生まれつきの不器用なんでしょうね。その女性との交際は暗礁に乗り上げる。

 そして、いくらかの時が過ぎ、そのパソコンの容量や性能が限界にきていた。我がPC生活も2台目を考える頃だったが、購買を延ばし延ばし、うまくだまして使っていた。デジカメの画像も取り入れる時代に来ていた。もう少しだけ我慢するか。

 しかし、まとまった金額が入る予定があるので、カードの締め日と請求日などを考慮し、意を決してXPを購入。家に帰り、設定などを移し、満足しながら眠る。パソコンに打ち込むと(集中の方ね)なんか眠りが浅くなる。そうして次の日に、新しいパソコンにメールで、以前の交際相手の婚約話を知るお知らせ。そんなことの為に買ったわけではないのに。しかし、すべての人に幸福が訪れるなら、それは大拍手を送りたい。

トゥルーボイス(3)

道端の

 悪友というものがあるのか? 十代後半、昼過ぎに起きて、夜になってから外出し、ファミレスで無為な時間を多く過ごしていた頃。ある日の家への帰り道、その友達と歩いていたら、道端に千円札が落ちているのを発見。友人が先に拾ったので、こころよく譲る。(その頃、過度にお金に執着しなかった。将来、成功が約束されている人間なんだから、と冗談のように語りつつ)

 で、また次の日も同じように一日を過ごした後、店から出る。そして丁度、昨日と同じ場所にまた千円。それも瞬時に友達がみつけ、拾う。「先に見つけたからしょうがないよ。」と言いつつも今回はなぜか悔しかった。金額より、幸運を掴み損ねたみたいで。

 でも、あの2日間を振り返り、バブリーな日々(個人的には縁がない)だったにせよ、なぜあそこにお金がおちていたのか、と疑問に思う。苦しい答えだが、あそこでタクシーを毎晩降りる人がいたのではないか? その人は酔っているせいで財布から、札を抜くのに手間取ってしまい落としたのか? などと考えるが正確な答えは知らない。ただ幸運を掴み損ねたことだけは確か、……なんかそんな気がする。

トゥルーボイス(2)


受験勉強と、どこかの猫

 中学3年生の時、今までとは心を入れ換え熱心に勉強した。まだ全部屋にはクーラーがなかったので、夏休みの勉強がすむと、1階の和室で窓を全開にして横になった。そのまま寝てしまうこともあった。
 いま振り返ると、網戸ぐらいは閉めてたはずだよな、と思うのだが、なぜか見ず知らずの猫がお腹の上に乗って、また寝ていた。そんなことが数回あった。

 しかし、あの時には、とてもしっくりしていて、その猫の重みが受験勉強で疲れたぼくには必要だったような気がする。あの猫も安心して寝られる場所が必要であったように。どちらもお互いに依存している関係だった。確かに、寄り添っている関係だった。

 そうこうしている間に受験にも合格し、高校に通った。猫の存在も忘れていたが、ある日の帰宅途中、まさにあの猫(模様もそっくり)が塀の上を歩きながら、ぼくとすれ違った。でも、ただ似ているだけなのか、それとも、もうあのように癒しあう関係が終わってしまったのか分からないが、言葉もなく通り過ぎてしまった。あの夏の昼寝は、本当にあったのか? と疑問をもちながら、高校1年の夏に突入していく。

トゥルーボイス(1)


 犬とベッドに関する小噺

 記憶にはないのだが、幼児の頃、犬に噛まれたらしく、大人になっても犬とは一線をひく生活を送ってきた。そろばん塾の帰りには追っかけられ、世界記録級に猛ダッシュをし、世をすねて反抗していた頃、友達の家で子犬にアキレス腱をがぶっと齧られ、面目まるつぶれになるし、あの動物なんだろう? 最後まで敵なのか、と考えていた。

 そんな時、すでに19になっていたのだが、家に帰ると、犬がいて今日からうちの家族の一員だよ、として迎えられていた。そういうものって家族会議みたいなことが開かれて決められることなんじゃないの? という疑問を持ちながらも渋々納得。

 でも、そこは飼ってみると可愛いもので、どこの犬好きも自分の家のが一番、みたいな気持ちを抱く。

 家族が出かけて淋しくなってしまった犬が、平日に休みのある僕のベッドによくもぐりこんだ。「犬の夢の中に真実がある」というセリフがウディ・アレンの映画にあるが、本当によく寝て、なにかうなっていた。シーズー犬だがレトリバーになっている夢でも見ていたのだろうか? 

 散歩の途中、小学生の女の子が「この犬可愛い」とか言いながら、撫でたりもした。よっぽど自分の方が愛らしいのにね。

 そして、僕は引越し、何年かして使っていたベッドのマットレスもさすがに傷み、新しいものを購入した。届いて快眠した次の日、朝の7時頃だった、電話がかかってきた。母親からだった。
「(犬の名前)が死んだ」と言った。不幸を告げる電話のタイミングはなぜか、早朝か深夜である。あの前のベッドのマットレスを変えた次の日に起こったことだった。

 それから、その一匹の犬を通して、犬社会と確かな抱擁をしたのである。不和は解消されました。それ以降、道行く犬たちをいじってみたり、触れたりしたくて仕様がない。(自分が犬だったらいい迷惑)実際にたまにそうする。人間だったら大問題だが、犬の場合、向こうも機嫌がよければ交友がもてる。また時折り可愛い犬の誘拐を頭の中で考えてみる。

豆腐より固くて白いもの(6)

 太宰 治の「新ハムレット

 中期の頃のこの作家は、ユーモアたっぷりで、遊び心も旺盛です。シェイクスピアのハムレットの原型を借りて(大きな器)パロディー化していきます。
 
 特に息子が旅立つときに語る父の人生訓というか処世術には大笑いします。友情(学友)とは、とか、酒の酔い方とか、どうでも良いことに父親は、恩着せがましく語っていきます。青空文庫というネット上で、権利がきれた本を原文で紹介しているサイトがある。検索できます。

 本物のハムレットにも良い映画がたくさんある。メル・ギブソンのや、ケネス・ブラナーやイーサン・ホーク(現代に置き換えて)のもあるね。古典になるだけの人間の核心に触れる物語なのでしょう。そして、その題材を使って、おちゃらけられるほど。

スタンダード曲(28)

All The Things You Are

 ジャズメンが好きな曲。多くの名演奏があるが、ここでは、バーデン・パウエルのギターをお勧めしたい。ブラジルのというよりボサノバの代表的ミュージシャン。ちょっと聴いただけで、ある世界に連れて行ってくれます。そこは、のどかで、開放的で悩みのない世界。だが少しトリステ。

 サウダージ。

 言語って、はっきり意味と釣り合うような言葉(音声てきにも)がある。

 ダンケ(ドイツ語でのサンキュー)
 アミーゴ(友情にこんなしっくりとした言葉があるとは)
 ボンジョルノ! ジュテーム、とかね。
 ポルトガル語でのインポルタンテ(インポータントより大切感が強まる)
 もっと簡単な挨拶より、込み入った内容も話せたら、世界が広まりそう。

 繊細さとセンシビリティーって音も似ているよね。言葉の響きに対する意味づけとイメージ。壊れやすいものって、そんな音でしか表現できないのかも。バーデン・パウエルのギターの音色も、脆い(もろい)心のようです。

スタンダード曲(27)

Over The Rainbow

 映画「オズの魔法使い」で使われた曲。ジュディ・ガーランドという歌手と切っても切れない曲。ラスベガスでMGMの館があって、この映画の一場面の変な人形が置いてあった。

 オズの魔法使いというと、野球選手のオジー・スミスを思い出す。守備だけで(完璧なショート)、オールスターにも出て、高年俸を獲得した。一芸に秀でることの素晴らしさを実感する。カル・リプケン以前のアメリカの伝説。

 話を戻すと、絶品はマーティ・ペイチのカルテットで演奏しているものだが、アート・ペッパーの冴えが見事。音楽的センスやひらめきが凄い。アルト・サックスのある方向での完成品。今でさえ新鮮さがみなぎっている。

スタンダード曲(26)

Stranger In Paradise

 クラッシックの原曲を用い、ポップミュージックにしたもの。そのことが曲調からも分かる。(考え方としては平原さんのジュピターね)

 アルフレッド・ライオンという人が過去にいた。ブルーノートという音楽レーベルを立ち上げ、彼の手にかかって、レコーディングしたミュージシャンが大勢いる。彼がいなかったら世の中に埋もれていたような人もいたはずだ。音楽界に貢献した人。

 その代表例がTINA BROOKS。味のあるテナーサックスを吹く。程よい渋さ、枯れさを含めて。その正式に発売されなかったが、今になって古い音源を引っ張り出してCD化されているものの中に、この曲が入っている。夢幻のような曲風だが、その通りに夢見心地にさせてくれる演奏。

 ジョニー・マティスという歌手も、きれいな歌声で、別世界から語りかけるようなバージョンもあり。なんか痺れます。

日曜日, 1月 29, 2006

やっと

 年末の仕事のご褒美として会社からQUOカードをもらう。それを使ってブラッド・メルドーの最新アルバムをHMVで買う。ほぼ等価交換。

 夜は近所のJAZZクラブでライブを聴いた。高道晴久というベーシストに圧倒された。凄いプレーヤーがいるもんだ。

 その高道さんのHP こんなHPあり。覚えとこう!