火曜日, 1月 17, 2006

スタンダード曲(6)

I'm A Fool To Want You

このFoolって夢中とか狂おしいとか、そんな感じなんですかね? 言語ってむずかしいっす。

 ビリー・ホリディの素晴らしい歌が、若い時にCMに使われ、なんとなく覚えました。

 いまのBESTはデューク・ピアソンのテンダー・フィーリンズというアルバムのピアノ・トリオの演奏です。洗練され知的な印象があり、泥臭い感じはありません。そのことがこの曲に合っているのでしょうね。
 このアルバムは名曲揃いです。ジョン・ルイスあり、スタンダードあり、ブルースありで、静かに内省的に聴くのに申し分のない一枚です。

 ソング・ライティングにフランク・シナトラもかんでいるようです。

POPS名曲選(3)

How Can You Mend A Broken Heart

 
アル・グリーンの名曲です。ノッティング・ヒルの恋人に挿入歌として使われていました。
 (エルビス・コステロの曲もGood)
 それにしてもヒュー・グラントってシャツの着こなしが見事ですよね。理想的です。

 海外の小さいお店でシャツを買ったことがあります。試着してみると、シャツの腕があまりにも長くて店員のおじさんに軽く笑われました。夫婦で経営してい るような店なので、夕食のときにでも「今日のあのジャップの、あの腕の長さ見たか?」と被害妄想的な状況を思い浮かべてしまいます。でも、買って帰って着 てますけどね。まったく関係ないけど、女性がYシャツをブラウスと言い間違えるのも、なんか好きですね。

 この曲以外にもたくさんのヒットがあります。お得なコンピなどから好きな曲を探すのも賢いわざでしょう。

 

豆腐より固くて白いもの(2)


 夏目漱石の「こころ」です。夏休み中の本屋さんみたいです。課題図書として読みましょう。

 パンドラの箱という言葉がある。開けてはいけない箱の中を開けると、あらゆる災厄が出てきた。不幸の元凶らしき中身が詰まっていました。それでも、最後に臆病者の希望が残ったという話です。

 この漱石の小説を読んでしまうと、同じように知らなくてもよかったような感情の渦に触れてしまいます。簡単にいうと古い時代ですから、直接的にではないのですが、友人同士が女性を取り合うような内容です。結末はいかに。

  ところで夏目漱石という人が、もしいなかったら、現代の日本語が違ったものとして受け継がれていたのではないかと思う。(もっと不便なものとして)いま 普通にこうして文章を書いたり、メールを送信したり、テレビのテロップを見たりするのも、明治の数人の知識人が改良した日本語の恩恵を蒙っているような気 がします。大げさか。

 あの時代に大学に行って、ロンドンに留学して一流国の仲間入りができたのも日本人の気骨さがあったのでしょう。お札にするぐらいでは、正当な評価といえないのではないか。簡単にいうと尊敬しているんですよ。

月曜日, 1月 16, 2006

スタンダード曲(5)

They Can't Take That Away From Me

私からは奪えない…という題名です。何を? というとたくさんの思い出の場面みたいなものをですね。

 例えば、あなたの帽子の被り方。 へんな歌い方。そうしたものを記憶から奪い去れない、と言っているんですね。納得。
 
  ガーシュインの作曲です。お勧めの一枚。レーベルはRiversideで、James Clay&David" Fathead"Newmanの2人が2本のサックスを吹いています。暢気な演奏です。力まずに聴きたい一枚です。いつも陰ながらのウイントン・ケリーの ピアノは至極かろやかです。

スタンダード曲(4)

All Or Nothing At All

ブルーノートのアルバムで、F・ハバードとT・ブルックスが2管編成で演奏しているのが、今のところベストです。こういう活きのいいスカッと したJAZZって、もう何にもいらないですね。オープン(開け)セサミ(ゴマ)というアルバム名です。横顔の若々しい彼が、トランペッターです。


 若い頃って、この「全てか何もなし」みたいな状態に追い込みますよね。グレーゾーンは許さない! そんないさぎよさが演奏に表れている?

 

POPS名曲選(2)

A Change Is Gonna Come

とてもガッツのある曲。サム・クックの熱唱。

 自己紹介します。川のそばで生まれたんです。ちいさなテントでした。いろいろ苦労もしましたが、もうじき変わる、もうすぐ変わります。長く待ちましたが、変化の兆しを感じています。こんな内容です。

 公民権運動の頃の歌です。キング牧師(I Have A Dream)とマルコムXの時代です。片や平和主義、もう一方は時折り暴力もじさないよ、というスタンス。わたくし相対性理論というのを間違って認識していたことがあります。
 つまり相対的というか、標準軸に対して、暴力もあれば平和的なものがバランスとれるようになっているという誤解。一方にガンジーみたいな超平和的な人を人類は生み出すが、片一方ではヒトラーみたいな者も生み出すという考え。これが相対的と思ってました。アホですね。

 この感動曲をネヴィル・ブラザーズも歌っています。

 サム・クック本人は変化を見ないまま、残念にも銃で撃たれてしまったようです。2度と現れない高価なサファイアみたいな歌手なのにね。

 

日曜日, 1月 15, 2006

POPS名曲選(1)

The Tracks Of My Tears

世界中で一番、好きな曲かもしれない。スモーキー・ロビンソン&ミラクルズのヒット曲。

 駄ジャレばっかり言いまくり、人からは陽気な人間だと思われやすいんだろうなぁ 
 でも、ぼくのスマイルってメイクみたいなもんだから・・・という唄です。

 S・ロビンソンが高い声で切々と歌ってくれます。一聴の価値あり。

 しかし、この中でも使われているが「サブスティチュート」(代わり)という発音って難しいですよね。もちろん英語圏の中では幼稚園児みたいな子も楽勝なんだろうね。

 シリーズ化決定。2回目はサム・クック

豆腐より固くて白いもの(1)

 歪んだ書評です。個人的に本という形体を、無限に愛しています。

 フランツ・カフカの「変身」について触れます。

 いきなり虫になって無視されるようなストーリーです。

 この内容が現在では、ニートや引きこもりの人たちについて書かれているような気がします。家から急に出られなくなり、家族から疎んじられていく過程というふうに読めば、リアルに迫ってきます。だからといって何ひとつ解決されるわけではありませんが。

 カフカという人自体、あまり世間的に成功したわけではありません。会社員としてせっせと働き、余暇として小説を書いたような人とされています。余暇とし ては、あまりにも立派すぎる作品群です。電車の中で華美な女子高生がカバーもせずに読んでいたのを見た時は、まさに驚きました。こう考えると、東洋の片隅 でも読まれれば、成功中の成功と言えるのでしょうね。

 男性更年期という事象もありますし、いくらか身につまされます。

土曜日, 1月 14, 2006

東京スケッチ(1)



ナポリも見て死ね

 東京の端くれに生まれた記念に、思い出の地を綴ります。
第一回 「駒込編」

  勤務の都合上、数ヶ月通った。オフィス街というより住宅街です。巣鴨よりの改札を降りると、左側に(東大方面)に六義園、右側に旧古河庭園という名所が 2ヶ所もあります。

 庭園フェチとしてはたまらない環境です。最近は両方をまわり、どこかで食事みたいなツアーもあるようです。集団でバスから降りる人たち もいます。都会の中の自然というのは、現代ではとても貴重なんでしょうね。後者は薔薇が有名です。5月ぐらいになったら、また散歩したいですね。

 

スタンダード曲(3)

Still Crazy After All These Years

ポール・サイモン作の曲です。本人も、レイ・チャールズが歌った演奏も秀逸ですが、最近ではブラッド・メルドーが弾くピアノが涙腺を刺激します。

 昔の恋人に偶然会っちゃってさ~ ビールなんか一緒に飲んじゃってさ~ みたいな歌詞です。こういう一見、不安定な曲をB・メルドーは繊細に危うく弾きます。

スタンダード曲(2)

 Violets For Your Furs

コートにすみれをという邦題がついている。その日本語から勘違いをしていた。テニスコートみたいな場所にひっそりとすみれが咲いているという図を思い描いていた。がファーの意味は、着るコートだったんですね。マット・デニスの作曲です。
 
 勘違いをもう一つ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、も今朝(今日の朝)まで憎くて、今夜はそうでもない。みたいな意味かと思っていた。憎しみを持続させないキャンペーン週間。ポジティブ・シンキングしましょうと誤解してました。本意はそうでもないのでした。

 Lou Levyというピアニストが、そのままのアルバム名Solo Sceneでソロ・ピアノを弾いています。淋しくって絶品バラードです。

金曜日, 1月 13, 2006

スタンダード曲(1)


 Falling In Love With Love

  好きなスタンダード・ソングについて書いていきます。
 今日、帰りにコンビニに寄り、品物を選んでいる最中、BGMで流れていた。優雅なメロディーです。恋はエバーラスティング(いつまでも終わんないんじゃないの?)かと思っていた、というような詞がついています。

 まあ、そんな気にもなるよね。

ヘレン・メリルの有名盤でお馴染みですが、それ以外にも名演奏を誰か知ってますかね?

 ジャズの演奏を使い、そのスタンダードという大きな山を切り崩す作業。自分のものにしたいと渇望の過程。人生の機微や真理を見つける好機。

木曜日, 1月 12, 2006

音楽エッセー(6)

 強烈なライバル

 あなたの行っていることを、直ぐ近くに自分より見事にやってのけてしまう人がいたらどうしたものだろう。違うことをして、その関係を回避したり、もっと努力して超えようと頑張ったり、いろいろ対処法があると思う。

 チャーリー・パーカーという歴史に残る先駆者がいる。その後を追うように、同じ楽器を演奏するソニー・スティットがここに登場。彼がどのように考えていたかは分からない。しかし、周囲の雑音は嫌でも自分の耳に入るはずだ。二番煎じ、エピゴーネン。だが、そんな意見があったとして、どうしたらよいだろう。自分のスタイルは、変えようもなく、これなのだ。乗り越えようと、もがくことなく、似ないように演奏方法を変えるわけにもいかないのだ。これこそ本当のジレンマだろう。



 でも、ソニー・スティットの残した、ある種あっけらかんとした音色に、救われることもある。私たちは、いつもいつも天才を待ち望んでいるわけではない。小さくても確かな手応えが欲しい時もあるだろう。そのような時にソニー・スティット以上の音色が必要だろうか。その先駆者より、相当長生きしたが、革命的な音楽家になることもなく、かといって、その音楽はもちろんつまらないものではない。

音楽エッセー(5)

脱・固定観念

 私たちは固定観念に縛られて生きている。それは、習慣と呼び変えても良いと思う。定期的に行われることに期待するのだ。
 上手な手品師は、タネを見破られることなく、上手な料理人はお客の舌を満足させることを望まれ、華麗なピアニストは流れるように優美にメロディーを奏でることを欲せられる。

 そして、セロニアス・モンクの登場である。有体にいえば何かが変わっている。最初はこんな筈ではないと考える。でも、ある瞬間ここちよく聴いていることに、あの音楽に取り囲まれていることに気付き呆然とする。奇妙だと感じていたのは、つい先刻のことではないか。

 また仕事が終わった帰り途、口笛で彼の作った曲を吹いてみる。Blue Monkなんかを。軽快で、流暢とも饒舌とも不思議な新鮮さがある。たどたどしい音楽だと、口ごもり気味な人との会話のようだと考えていたのは嘘なのか。いつの間にか、騙されていたのか。

  その音楽から一時は離れたり、またくっついたり、やっかいなミュージシャンである。彼の音楽をジャズ・フアンは理解しなければ、好きと言わなければアマ チュアだという思い込みも、逆に固定観念である。フル・コースより、気楽に一風変わったシェフの創作料理をお楽しみください、くらいの気分で。

まじっすか❢


なんか、取り返しのつかない位、ものすごい失敗をしそう。身をもち崩すなよ!



「今日の一句」おじさんに 辺見えみりが 勇気くれ

水曜日, 1月 11, 2006

音楽エッセー(4)

The Beat Goes On

 コンサート会場に行き、アップテンポの曲で手拍子や、靴を鳴らしてリズムを取る。そういう簡単な行為の中に、その人が受け継いでいる(内包している)リズム感が出てしまう。つまり、根本には音頭的なものが、体内のどこかに陰を潜めて残ってしまっている。いくら洋楽が好きだと宣言しても。

 ニューヨークの黒人たちが隆盛を究めている時代に、ホレス・シルヴァーが放つ音楽はどこか、周りと違っている。テクニックとかではなく、やはり、彼の高揚した時に、自然と溢れ出るリズム感が、知らないなりに私たちを魅了するのだ。共通の土台はないにしても、見知らぬ土地を夢見るような心地よさが、その音楽によってつながり、深い部分で共鳴する。誰しもが、波の音で安らぎを感じるように、太陽の日差しを望むように。ホレス・シルヴァーの音楽は流行には依存しないのだ。

ゴージャス


こんなバイク発見。金ピカです。ビギナーズの世界ですね。



今日の驚きは、駅構内でタンバリンを叩きながら歩くおじさん発見。ブタ鼻しちゃいました。

火曜日, 1月 10, 2006

マクドナルドにて

 静かな店内で本を読んでいたら、(江國 滋さんの旅行記。とても面白い。娘はあのベストセラー作家)隣の男女がいちゃつき始めた。ナゲットを食べさせたり、あれやこれや。帰り際にその二人をチラ見すると、いかにも「がり勉」風な(大学受験寸前のような)二人だったので驚いた。

 何かが弾けちゃったのか? 都会の片隅にて。

月曜日, 1月 09, 2006

I was Young


20年前、こんなGジャン着てました。若かったのね。

バスタイム


昨日、風呂に行った。ジャポネは、古代ローマ人のように、風呂で会話したり、疲れをとったり、よく似てる。
 
なかに塩サウナというのがあり、隣のおっさんが水戸泉のように(古い)がっぽり塩を掴み、身体にこすりつけてた。やっぱり、タレより塩派ね。