火曜日, 1月 24, 2006

音楽エッセー(7)

Dukeに対しての講釈。

 2つのことを考えてみたい。有名になること。名前が多くの人に知られたり、見知らぬ人がそのことを会話にふく めたり。デューク・エリントンという人がい た。アメリカのバンド・リーダー。作曲家。長期にわたり、第一線で活躍する。それを、歴史の当然のように受け入れている、私やあなた。

 地上のどこかに同じような才能を持ちながら、有名にならなかったデューク・エリントンはいたのだろうか? 答えは否である。そのようなことはとても考えにくい。やはり、あの紳士然とした、風格ある音楽を作る能力があれば、誰も歴史の片隅に放っておかないだろう。

  その曲の作り方。メンバーのソロや、楽器の構成を考えて音楽を作っていく。サッカーの監督が自分の理論や作戦を大前提にしてチームやレギュラーを枠に、はめ込むのとは正反対の発想。能力があれば、人間の素材を真っ先に考えるのが、必然だろう。個性的でありながら、エリントン楽団の一員であり続けた人たち。

 その中で最高の個性や、クオリティーをみせた芸達者な面々。そこには人間の魅力にあふれ過ぎた現実が存在する。アラブのハーレムにでもいるような、体臭さ え感じさせる音楽である。それでいながら、ロミオ&ジュリエットを題材にした「スター・クロスト・ラバーズ」など新鮮(フレッシュ)な音楽も残している。

 

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